誰にでも訪れる“マジックアワー”に写真を撮ってみよう。


マジックアワー

太陽が西の彼方に沈み、夜が訪れるまでの数分間の静寂。
昼でもなく夜でもないその境界線を、世界が跨ぐゆったりとしたひととき。

そんなわずかな時間を、光源である太陽が頭上から姿を消していることで、自然環境の中では限りなく陰影の少ない不思議な光に包まれ、色相がやわらかく、美しい光景が広がることから「Magic Hour~マジック・アワー~」と撮影用語で呼ばれている。


日没間近の世界には、くっきりとした影が地面に長く伸びているけれど、日没後には光が薄らぐと同時に影も失っていき、ゆっくりとうっすらと霞みがかったやわらかな光が、空に反射し地上に降り注がれる光景。

マジックアワー1

この世の光は物事を照らす強い明るさを持つと同時に、濃い影を作る暗さも兼ね備えているもの。
良いことや悪いことの境界線がハッキリとしていて、誰から見ても善悪がわかりやすいものだけれど、このマジック・アワーには、そういったくっきりとした白黒をつける強制力はそもそも存在しない。

何かにつけて物事に白黒をつけなければならない社会の中で、曖昧な答えがあってもいいんじゃないか、理屈ではわかっていても屁理屈になってしまったり。頭ではわかっていても体が一歩踏み出せなかったり、そういった弱さや甘さというものを全否定することが正しいとは限らないのかもしれない。

『そもそも正しさって何だろう?』なんてことを、ぼんやりと考えさせられる。

晴れ渡った日曜日など清々しくて気持ちのいいものだけれど、あまりの光の強さに目の奥がキーンと痛んだり、家に篭っていたりすることで罪悪感に苛まれたり、なんだかどこかに出掛けなくてはいけないような義務感に背中を押し出されたり・・・。

何かがくっきりとした状況にあるものは、その答えをハッキリと回答しなくてはならないような気になってしまったり、なんだか凄く肩に力が入ってしまうようなそういった状況を、私はちょっと苦手だったりする。

写真を撮るのに、絶好のシチュエーションは「澄み渡った快晴の日」といったイメージがあるけれど、雲ひとつない青い空の下は、明るさと同様に強い影を作り出してしまう。反対にドンヨリとした今にも泣き出しそうな空模様では、すべてのものに平等に光が拡散され、色々なものがフラットに見えてきて心がスぅ~っとする事がある。

そう思うと、写真を撮るのに適切なタイミングも、環境も、天気も、あまり関係のないことなんだと気付かされる。

すべての瞬間が、その時にしか見えない貴重な光に包まれていること、すべての場所や時間に、そのときの美しさというものが存在するはずで、そして今回の「マジック・アワー」には、昼と夜、光と影の境界線の曖昧さ、緩さ、柔らかさ、不思議さがファインダーを覗けば見えてくる。

その微妙なアンバランスな線。それを世界が越える一瞬を誰でも写真に写すことが出来る。

マジックアワー2

1日の中で、日没後の空を“数分間”見上げてみるだけで、今よりすこし柔らかな眼差しで世界を見ることが出来るようになるかもしれない。

誰にでも毎日必ずやってくるその「マジック・アワー」を、今日から空を見上げて味わおうと小さく誓った。


[記事公開日]2014/04/17

コメントを残す